台東区今戸1-5-22
TEL 03-3872-2703

<アクセス>
各線浅草駅から徒歩15分
都バス 浅草7丁目
リバーサイド・スポーツセンターより2〜3分

<ご祭神>
應神天皇(おうじんてんのう)
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊弉冉尊(いざなみのみこと)
福禄寿 (ふくろくじゅ)

 福禄寿をお祀りしている今戸神社は、後冷泉天皇康平6(1063)年、時の奥羽鎮守府将軍伊豫守源頼義・義家父子が、勅命によって奥州の夷賊阿部貞任(あべのさだとう)・宗任(むねとう)の討伐の折、篤く祈願し鎌倉の鶴ヶ丘と浅草今之津(現在の今戸)とに京都の石清水八幡を勧請したのが今戸八幡(現在の今戸神社)の創建になります。
 その後、白河天皇永保元(1081)年、謀反を起こした清原武衡・家衡討伐のため、源義家が今之津を通過するにあたり戦勝を祈願しました。その甲斐あって勝ち戦をおさめることができ、義家は神徳に報いて社殿を修復しました。
 戦乱兵火に遭うごとに再建されることしばしばでした。
 江戸時代、三代将軍徳川家光は、今戸八幡の再建のために官材を下され、船越伊豫守と八木但馬守に命じて寛永13(1636)年に再建がなりました。
 大正12年9月の関東大震災によって社殿はまたも灰燼に帰し、まもなく復興したものの昭和20年3月の東京大空襲でも重ねて被災の憂き目に遭ってしまいました。

 こうした被災→再建の歴史をくり返しながら、同46年11月、現在の荘厳な社殿が氏子崇敬者の浄財によって造営されました。
 その間、昭和12年7月に今戸の隣地に鎮守されていた白山神社と合祀、社名が今戸神社と改称されました。

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