古代インドにおけるマハーカーラ神のことで、悪魔退散の強力な守護神であります。それが、仏教の日本への伝播とともに一方では魔を払う軍神、また他方では食料を司る台所の神として崇められるようになりました。
 このように、古くは福神と軍神の二面性を有していたのですが、室町時代になって「大黒(だいこく)」と「大国(だいこく)」の音読みが同じことから次第に日本の伝統神に数えられる大国主命(おおくにぬしのみこと)になぞられるようになったのです。
 そして信仰が大衆化されるにしたがって、旧来の台所の守護神に大国主命の神徳が加わって、糧食、財宝の神として広くまつられ、いつしか軍神の性格は弱まり、福徳の神として今日にいたっているのです。

浅草寺


 恵比須神は、七福神の中で唯一日本生まれの神様です。日本人の素朴な生業信仰のなかで海からの恵み、つまり大漁をもたらしてくれる福神として、古くから招福、開運を祈願する人々の尊信を集めています。

浅草神社


 

毘沙門天は古代インドのバイシュラバナのことです。常に仏の道場を守り、説法を良く聞いたといういわれから「多聞天」とも呼ばれています。身体には黄色の甲冑をつけ、左手に宝塔、右手に鉾または宝棒を持ち、憤怒の形相で邪気を踏みつけにしている姿が普通です。
 左手の宝塔は福をもたらす徳、右手の鉾は邪を払い魔を降す徳を示すところから、財宝をもたらし心に勇気と決断を与えてくれるという物心ともどもの福徳を施す神です。

待乳山聖天


今戸神社

矢先神社

福禄寿は白髪童顔の温和な容姿で、年齢は数千年といわれ、福(幸福)と禄(生活・経済の安定)と寿(健康にして長命)との三つの福徳を授ける福の神として人々の尊信を集めています。

布袋尊は中国の後梁(10世紀初期)の中国に実在した禅僧で、名を契此(かいし)といいました。
 常に笑みをたたえて容貌福々しく、体躯肥大、粗衣をまとった姿は物事にこだわらない人格の大きさを感じさせます。
 いつも布袋を肩に喜捨を求めて諸国を遊行し、童子と戯れ邪気、憂慮はいささかもなく、豪雪の中に寝てもその体は濡れる事も無く、ときに晴雨や吉兆を予知して人々の尊崇の念を集めたといわれています。
 後梁貞明3(917)年に寂滅するや、世人は弥勒菩薩の化身であったと信じ尊び、画幅にして信仰したといいます。

不動院


中国に古くから伝わる道教の祖、老子が仙格化されたものといわれるこの神は南極星の化身ともいわれ、白髪長頭で長寿の福徳を記した巻物をつけた杖を持つ姿が描かれます。また、齢二千年の玄鹿をはべらせているときもあります。

石浜神社

鷲神社


 

七福神の中でただ一人女性である弁財天は、古代インドのサラスパティという名の豊かな川の女神で、知恵、技芸、財物の福徳を有すると言われています。とくに悪声を川のせせらぎのような美声に変える神徳があると信じられ、別名を「妙音天」とも言われます。

吉原神社


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