| 浅草寺 | 浅草神社 | 待乳山聖天 | 今戸神社 | 不動院 | 石浜神社 | 鷲神社 | 吉原神社 | 矢先神社 |


< 浅 草 観 音 >

台東区浅草2-3-1
TEL 03-3842-0181(代表)

<アクセス>
地下鉄各線、東武鉄道浅草駅 徒歩 5分
浅草寺ホームページ http://www.senso-ji.jp/

<ご本尊>
聖観世音菩薩

 

 大黒天をお祀りしているのは浅草寺です。
 推古天皇36(628)年3月18日未明のことでした。今の隅田川に投網漁をしていた漁師の檜前浜成(ひのくまのはまなり)、竹成(たけなり)兄弟の網に一体の仏像がかかりました。それを豪族の土師真中知(はじのまなかち)は、尊い観音像であることを知り、深く帰依して自宅を寺とし、その観音像を奉安し、礼拝供養に勤めました。これが浅草寺のはじまりです。
 大化元(645)年、勝海上人がこの地に留まり観音堂を建立、また夢告によりご本尊は秘仏と定められ武蔵国の観音信仰の中心地となりました。
 現在の本堂再建工事にあたって出土した数々の遺物から、金龍山浅草寺は少なくとも平安期には大寺の伽藍をここ武蔵野の一漁村に構えていたことが判りました。
 平安期はじめ、慈覚大師の巡拝により伽藍の整備が行われ、その後一層信者の層も厚くなりました。以来、慈覚大師を中興開山と呼んでおります。
 鎌倉期以降になると将軍自ら帰依するに及び、名将たちの篤い信仰を集めていよいよ観音霊場として知られるようになりました。
 江戸時代、天海僧正(上野東叡山寛永寺の開創)の進言もあって、徳川幕府の祈願所と定められ、いわゆる江戸の信仰と文化の中心として庶民の間に親しまれ、以後の隆盛をみるようになったのです。

今日、東京(江戸)の発展は江戸城構築からの徳川幕府にはじまると思われがちですが、こうして浅草というところは古くから宗教的にも文化的にも江戸の拠点であった訳です。江戸が東京にかわったときでも、文明開化の先駆的な役割を果たし、庶民の信仰と文化の一大中心地として機能してきたことも当然といえるのです。

浅草寺に祀られている大黒天は、俗にいう米びつ大黒として江戸以来市民の崇敬を集めています。

大黒天とは


雷門の大提灯

| 浅草寺 | 浅草神社 | 待乳山聖天 | 今戸神社 | 不動院 | 石浜神社 | 鷲神社 | 吉原神社 | 矢先神社 |

トップページへ